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新英語教育研究会神奈川支部HP

新英語教育研究会神奈川支部HP

ルター、学校へ行く(私立女子高編12+6)

 さて、2005年4月にスタートした「私立女子高編」です。ルターは新英研の神奈川支部に参加していますが、すぐそばの学校なので例会に通いやすくなりましたが、自宅からは1時間半かかるので慣れるまで大変でした。
 
 生徒たちとのやりとりがある、その3やその8、また夏休み(その6)「英語短編小説の読書会に参加して 」がおすすめです。


●ルター、学校へ行く(私立女子高編その1):「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHi)フォーラム」に参加
 3月25日(金曜日)に東京ビッグサイト(江東区有明3)でセルハイ(スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールの頭文字)の発表を聞きに、ルターが4月から勤める学校の英語科の皆さんと行った。
 有名人では吉田研作さん、松本茂さんがパネリストとして参加されていた。松本茂さんが「日本の教科書はアメリカのように資料集的に厚手にならないといけない」と提言されたのが印象に残った。大阪、東京の研究校が率直に「担当教員は報告作りで疲弊している」という報告をしていた。文科省のみなさん、聞いてますか~? あまりの率直さに感動を覚えた。東京のある高校の担当教員は病気でやめてしまったそうだ。さもありなん。
 どの学校も大学と提携していたのが印象に残った。高校の現場は忙しい。やはり外部に委託して見てもらわないとダメなんだな。
 その日の翌日から風邪で寝込んでしまったルター。咳が残ったが、やっと復調。明日は始業式と教科会だ。はりきっていこう!

April 15, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その2):今日は新聞の切り抜きを整理
 明日が初授業になるルター。昨日、今日は家で作業。今日は新聞の切り抜きを整理した。 
 事の起こりは、アレン・ネルソンさんの講演を書いたサイドリーダー『I Know War』(かもがわ出版)を手にとって「どうやって話の流れを作ったら授業で使えるかな」と考え始めたのだ。ベトナム戦争に従軍した海兵隊員だったアレン・ネルソンさんのことに触れるには「ベトナム」を紹介するのがいいと考えた。そこで、新英研神奈川支部とのかかわりの深い、雑誌『新英語教育』(三友社)の連載記事「教科書の国々」のシリーズを整理、続いて新聞の切り抜きを整理しはじめた。
 そのなかで2つのことばを紹介したい。
 まず、朝日新聞の編集委員の清水克雄さん(フランス思想に詳しく、彼が世界の思想家にインタビューした記事や彼の書いた記事はこの何年も切り抜いている)がドイツの思想家ハーバーマスにインタビューしたしたときのことばが心に残った。
 「知識人は建設的な提案をし、状況の改善に寄与できると思えるときには口を開くべきだ。知識人はシニカルであることは許されない。(朝日新聞夕刊2004.11.18)
[余談:最近、夕刊を講読しない人もいると聞く。夕刊って、朝刊にはない気楽さと自由度があって、知識の宝庫だけどな~。私は夕刊、大好きです]

 もう1つは、国語教育で有名な大村はまさん。
 小学校の講演会でのお話。はまさんが「心の中を言葉に置き換えているとね、お友達が増えて幸せになるのよ。ほら、今日あったこと、弟に話すように話してごらん。」というと、子どもたちは魔法にかかったように口を開きだした、という。
 そして96歳になって(読売新聞2002.8.7の時点)高齢者住宅へ移った。そこでのひと言。「何十年も子どもたちの指導をしてきた私が、自分の最後を自分で幸せに出来ないようでは、皆がっかりしちゃうでしょ。私みたいに子供を持たずに晩年を迎える女性はこれから増えると思うの。そういう女性が幸せに生きていくスタイルをね、これから見せるつもりよ。」
 はまさんのおっしゃる通りだ。私自身、勉強している教員自身が不幸では「勉強していこうよ」と訴えかけている生徒に対して示しがつかないと思っている。「われわれが他人の幸福を考えねばならないのは当然だが、自分を愛してくれる人たちのためになし得る最善事は、やはり自分が幸福になることだ、ということは十分にいいつくされてはいない。」(アラン『幸福論』社会思想社教養文庫p.270)
 よし、どんどん幸せになるぞ!

April 17, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その3):今日は分詞+社会人の女性としての言葉遣い「~ですので」「そこに置いてある(も)の、取って」
 土曜日に高2の授業開始。さっそく分詞を解説した。
 分詞
 (1)現在分詞:動詞の-ing形
   studying / eating / running「勉強して…/食べて…/走って…」
 [解説:このように「~して…」の「…」が重要です。中途半端な意味しかありません。
   I studying English.だと「私は英語を勉強して…」までしか言っていません
   (が、そこまでは言えているということでもあります!)
    「勉強している」と言いたければ、am
    「勉強していた」と言いたければ、wasをつければいいのです。]
 (2)過去分詞:(不規則動詞ではsee-saw-seenなどの3番目の形、規則動詞では-ed)
   2つの意味があります。
  (a)受け身:seen / surrounded「見られ(て)…/囲まれ(て)…」
  (b)完了:seen / surrounded「(すでに)見て…/(すでに)囲んで…」

 ここまで板書、解説したあと、「彼は走って来た」を発問しながら文を作ってもらった。
 「来た」は?  I comeじゃなくて、I came
 「走って…」は?   runが「走る」だから、「走って…」はrunning
 あわせると、I came running
 
 こんなかんじでスタートした高2。ルターの日本語が通じるのはまだまだ先のようですが、ゆっくりやっていこうと思います。

 余談:授業中に生徒同士で「ばか!」なんて言い合うのが聞こえてきたので、スターは「悪い言葉が聞こえてきましたよ~」と前置きして、ルターは塾で5年間教えていたときに女性スタッフの言葉の指導をしていたことを話し始めた。
 「『~なんで』ではなく『~ですので』と言える高校生はいないと思いますけれど、テレビの夜10~11時の女性キャスターは皆『~ですので』と言っているから、注意して聞いてみましょう。私自身も高校生の時は男の子のような話し方だったと思います。でもその塾で社長に教えてもらって29歳からことばを直したので苦労しました。
 女性で「もの」ではなく「ヤツ」という言葉を言う人が多くて残念です。私もたまに言ってしまうと『シマッタ!』と思います。『そこに置いてあるヤツ、取って』ではなく『そこに置いてある(も)の、取って』の方がいいですね。英語も大切ですけれど、日本語もきちんと話せる素敵な女性になってほしいと思います」という主旨のことを話した。(「ヤツ」ということば、女性は言うのはやめましょうよ。素敵な女性なのに「ヤツ」と言っているのを聞くとがっかりしてしまいます。)
 この話の時は生徒たちは神妙に聞いてくれていた。

 塾で指導しているときは「『~ですので』ができるようになると、そこが基準のラインになって他の言葉も整ってくる」と女性スタッフには説明していた。そして「連絡しないといけないんで~」とスタッフが言ったら、すかさず「連絡しないといけないですので~」と指導する側が言って、そのスタッフに「連絡しないといけないですので~」とオウム返しに言わせていた。この繰り返しのみ。注意されたスタッフは「すみません」「わかりました」と言うだけで終わらせようとするが、そこは許さず、「連絡しないといけないですので~」ともう一度言って、復唱させた。
 ここで「『~なんで』ではなくて、『~ですので』でしょう!」と解説してスタッフを叱って「わかりました」と返事させても、全く意味がない。ことばの学習とは「示す」こと、そして「見習う」ことが必要である。これ、社長の徹底した指導方針。こういうことを教えてくれたS社長に感謝しています。

April 28, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その4):高3の2人とお話
 高3の2人、SさんとYさんが質問にやってきた。大学に入ったら留学したいのだという。私自身は留学経験がないので大学入試のアドバイスをした。江川高志さんの『江川の英文法・語法』(旺文社1000円)を薦めた。英文法にうるさいルターだが、この本はかなり良い。というのも『出題者の視点』というのがついているのだ。まとめ方もスッキリしている。
much more rainとmany more friendsのような例が載っているのもよい。
(実はルター、授業で間違えて説明して、翌週に訂正したのだった。この本のおかげで助かった! でもルターはこれよりもよい問題集を作りたいから、執筆活動に励もうと思うのである。)
問題集は2回やって、○×をつけ、3回目以降は××や○×のところだけをやるのがオススメ。
 そんな話をした後、電子辞書ではなく、例文がすぐ目に入る「紙の辞書」がいい、という話をした。Sさんは賛同してくれた。
・apply for a jobとapply to a universityの違いを解説した。
・教科書に名詞のamount「量」が出てくる。amountにはmount「山」が入っている。動詞のamount to ~「総計が~になる」には「塵も積もれば山となる」のイメージがある、と解説した。

 Yさんには久米宏の新番組「A」、Sさんには沖縄に行くことを薦められました。沖縄には行かなくては、と思っている。


May 14, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その5):高2で分詞構文
 1ヶ月が過ぎて、私がrunningと板書すれば「走って…」、「動作」と「感情や体調」は異なり、tiredと板書すれば「疲れて…」という意味です、という共通認識が高2のみなさんとはできつつある。この調子で分詞構文に取り組む予定。さあ、下準備はできた!

May 23, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その6):「地震予知」と「無駄な死にしないために私たちができること」+「浅井基文さん」
 高3のクラスで地震予知の話をした。実際は予知も大事だが、防災の方が大事で「タンスを倒れないように固定する」「寝床の枕元にテレビやCDデッキを置かない」などの工夫が大切だと話した。ところが「地震で死ぬなら屋根が落ちて下敷きになるよりもタンスの下敷きになった方がいい」というような声が出てきたのである。明日を担う高3の女の子からなのだ。
 私はそこでこう話したのである。阪神の震災で亡くなった人達から関東にいる私たちがその教訓を学ばなければ、無駄な死になってしまう。これは第二次世界大戦で亡くなった人達についても同じである。どうしたら平和になるかを努力しなかったら無駄な死になってしまう。
 そして地震で生き残ることは大切で、自分が助かれば他の人を助けられるのだ。目が見えない人、耳が聞こえない人、老人たちなど、地震が起きたら困る人がたくさんいる。だから私たちは無事に生き延びねばならない。彼らを助けるために。
 途中ざわついていた生徒達がシーンとなって耳を傾けてくれた。

 誠実であるというのはそういうことだと思う。亡くなった人の死を無駄にしてはいけないのだ。久しぶりに「浅井基文さん」のことを検索したら広島に住居を移され、平和研究をされていることがわかった。誠実な人は世の中にたくさんいる。これからも浅井基文さんの動向を追っていきたい。


May 29, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その7):生徒の言葉にみえる今の日本の在りよう
 高2の授業で板書した後に生徒達のノートを見て回ったとき、書いていない生徒がいたので「ここ、書いてね」と言ったら、「なんで私に言うんですか? 他の人もやっていないですよ」と言われた。そのことばにビックリしてしまった。「じぶんごと」として受け止められないのだ。
 「今の日本の気持ちが出ている。私のころには考えられない言い方だ」と言ったら、昔とは違うという主旨のことを言われた。
 「他の人を指せば自分が指されない」という手法、そして「他の人がしていなければ、しない」「他の人がしているなら、する」という、悪しき「場の論理」…。
 よし、まずは自分からだ! こんな手法や論理に負けないぞ。


June 11, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その8):生徒の言葉は神の声
 生徒の言葉は神の声だと思う。昨日は高2のTさんに唐突に「先生、小説読みなよ~。人生、もっといろいろ知らなくちゃ」という主旨のことを言われた。
 あれ~、小説読んでいないの、見抜かれている~! と、びっくりしたよ。
 もちろん、少しは読むけれど、かなり偏っている私。TKさんはちょっと怖い感じのものが好きらしい。そばにいるTSさんがダニエル・スティールの小説(ラブロマンスで、日本人のことをジャップと読んでいるシーンがあって第2次大戦のころの話)を読んでいて、当然です、という顔つきで私を見ていた。
 生徒の声は神の声。ほんとうにそう思います。

June 22, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その9):職場で文学談義
 小説を読んでいない、と生徒に指摘(透視?)されたルター。さっそく夏目漱石の『こころ』を再読しはじめた(安直ですな)。前回読んで気づかなかったことを発見できるのがおもしろい。そのなかで、ひとつ理解できない比喩があった。それを隣に座る国語教諭のKさん、Tさんにお尋ねした。以下は小説の問題箇所の要約だ。

 登場人物の「先生」に接近する学生である若い「私」に向かって先生は「恋愛は罪悪」と語り、そのあとに「君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」と訊く。「私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった」と述べる。

 ここで、ルターは「先生」の言う「黒い長い髪で縛られた時の心持」とは何、という疑問が湧いたのである。この比喩は明治期にはよくある比喩なのか、それとも夏目先生の独特のものなのか? そして「縛られる」という状景がなんともおどろおどろしいというか、情念たっぷりなかんじがして、かなり唐突に思えるのだが、これいかに?
 昼食時、お弁当を食べていたほんわかした時間帯に為されたルターの唐突な質問をKさん、Tさんは真剣に考えてくださった。ありがたいことだ。こんな話題を振ってもいい環境に身を置けているという事実がルターにとってはうれしい1日だった。

July 3, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その10):Tシャツが裏返しになっていたルター
 高2のクラスで授業していたら「先生、もしかしてTシャツ、逆じゃない?」と言われた。
 胸元から襟をみるとタグはないので、後ろ前(back to front)でないけど、と思ったところ、肩の所にヨレヨレとした部分が…、なんと、裏返し(inside out)に着ていたのだった! 「先生、トイレで着替えてきていいよ」と言ってくれたが、そのまま授業を続行。教室をまわっていると、みんな興味深そうにジロジロ、クスクス笑い声。ノートをとっていなかった生徒に注意したら「服が裏返しの人に、言われたくない!」。いやはや、ほんとうに恥ずかしかった。
 転んでもタダでは起きぬルター。そこで思い出したのが以下の例文。次回はこの例文を紹介したいと思っている。こういう表現がさっと言えるようになるといいなあと思っている。

(1) upside down「逆さまに」[上側が 下に]
□ That picture is upside down. (OALD) あの絵は逆さまだ。
□ You've hung that picture upside down! (L3)

(2)back to front 英》「後ろ前」
   backwards 米》「後ろに」
□ You've got your sweater on back to front. (L3)セーター、後ろ前だよ。
□ Your sweater is on back to front. (OALD)
□ It is not easy to run backwards. (OALD) 後ろ前に走るのは簡単じゃない。
□ The word 'star' is 'rats' backwards. (OALD) starは後ろから読むとratsになっている。

(3)inside out「裏返し」[内側が 外に]
□ Turn the blouse inside out before drying it. (OALD) 干す前にブラウスを裏返せ。
□ I always turn my jeans inside out to wash them. (L4) ジーンズは洗うのに裏返している
□ wearing his socks inside out (OALD) 靴下を裏返しに穿いて…
□ You've got your jumper on inside out. (L4) ジャンパー、裏返しだよ。

July 24, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その11):ルターの読みとり授業
 夏休み直前の授業で『コスモス2』(三友社)のLesson 9のThe Boy Who Painted Christ Black(キリストを黒く描いた少年)を扱っているルター。1930年代のアメリカで小学6年の黒人少年がキリストを黒く描き、その地区の白人の指導主事がその絵を見て大激怒、黒人校長先生がその少年をかばうというくだりを読んでいた。
 黒人校長先生は白人の指導主事に向かって、「キリストは有色人種が多く住む地域で生まれたのです。キリストが黒人だったという強い可能性がある」There is a strong possibility that he could have been a black man.と述べる。
 そこで「なぜわざわざcould have been(~だったのはありうる)と言っているのでしょうか? he was a black man(キリストは黒人だった)といわなかったのはなぜ?」と、ルターは発問した。
(そのあと自答+解説してしまうのが、ルターの欠点だ!)
 ルターの解説は以下のようになる:黒人だった、と断言は実際にできない。したとしたらウソになる。書物にも残っていないし、2000年前なので証言も得られない。だからこそ、黒人校長先生は「言える範囲で正確に誠実に述べた」のである。he could have been a black man(キリストは黒人だったのはありうる)というのはウソではない。しかしこの発言自体が1930年代のアメリカでは衝撃だったはずだ。

 声の大きな人や国に言われっぱなしでグッとなってしまって黙ってしまうのではなく、言える範囲で言う「強さ」。そういう強さを持った人、そういう強さを持った日本になりたい。

July 25, 2005
●ルター、学校へ行く(私立女子高編その12):ルターの読みとり授業の「蛇足」
 ・日本のなかでは50代後半から60歳までの世代を「団塊[だんかい]の世代」と呼んでいる。私の世代(30~40代)以下は本の読み方や発言の間違いが「生き死に」にかかわるという切実感が希薄だ。しかし「団塊[だんかい]の世代」は読み間違えたり、言い過ぎたりしても言わなさすぎても批判されたり、「生き死に」にかかわってしまった世代である。そういう世代だということを他の世代は知ってほしい。
 ・子どもならば『はだかの王様』のように「王様ははだかだ!」と断言してしまえるかもしれない。しかし、大人にはそういうことはできない。この物語の校長先生は言える範囲で述べるにはcould have been(~だったのはありうる)という助動詞を用いた表現が必要だった。
 英語では、助動詞って、大切ですね。
 と、以上のことも話してしまったので、授業では復習+新しい1行しか進まなかった。うーむ…。

July 25, 2005
ルターの夏休み(その1):今日は英文法界の「地雷」除去 [ カテゴリ未分類 ]
 夏休みに入って、やっとやる気の出ていたルター。放っておいた、気になることを片づけ始めた。
それは英文法の一般書などの間違い指摘である。
 副島隆彦さんの『英文法の謎を解く』(ちくま新書)に関しては10年前に指摘して、著者直筆の怒りの手紙がきた。それに続く、英文法界の地雷除去ですね。英文法界にはさまざまな地雷(=勘違い解説)がばらまかれている。ルターが除去できるのは「英文法界の地雷」。本物の地雷除去は気持ちの上での支援するぐらいしかできていませんが、英文法界の地雷除去はどんどんするよ。
 解説せずに例文提示なら罪はない。しかし勘違いをどんどん生むような「勘違い解説」は地雷ぐらいの破壊力がある。自戒を込めてそう思っている。

August 8, 2005
●ルターの夏休み(その2):長野の旅(姫木平+戸倉上山田温泉+戸隠)
 今年の夏の一大イベントが無事終了した。今年知り合いになった数学の先生の別荘が姫木平にあり、中学時代の友人と訪れた。数学の先生は陶芸家でもあり、友人といっしょに「葉っぱのお皿」「湯飲み」を作らせていただいた。
 新英研全国大会は戸倉上山田温泉で。文法分科会で冠詞について発表。
 そして神奈川の例会メンバーとともに戸隠へ。充実した旅行だった。

August 8, 2005
●ルターの夏休み(その3):『『カンディード』〈戦争〉を前にした青年』を読む
昨日は、新宿紀伊国屋で、新英研のO先生が紹介してくださった、みすず書房の新シリーズ「理想の教室」にある水林章さんの『『カンディード』〈戦争〉を前にした青年』を買いました。新刊でイラク戦争という現在の戦争と啓蒙主義のヴォルテールが描く『カンディード』の戦争とを重ねながら、テキスト読解をしていました。珍しく素早く読了。水林章さんの誠実さが伝わってくる文体で、気持ちよく読めました。
 主人公カンディードがその師であるパングロスを乗り越え、
 主人公が労働するに至るまでの教養小説であることや
 文体上の工夫があることなど、興味深かったです。

 私も主人公カンディードの追体験ができたような気になりました。(本体の『カンディード』を読もうと思います)

August 16, 2005
●ルターの夏休み(その4):helpの用法は、help+人で「(人を)助ける」が基本。次にhelp+物事で「(物事を)避ける」を覚えよう!
 HHKラジオ第2の「シニアのための物知り英語塾」のなかに、松本茂さんの語法のコーナーがある。今日やっていたのはhelp。松本さんが紹介していたのは3つの用法:
 (以下の引用は正確ではなく、記憶で書いている)
 ・~ help me do my homework
 ・This medicine will help your cough.(この薬で咳が楽になる)
 ・~ help me with my homework
 そこで、ルターは2つの事が気になった。
1つは「避ける」の意味が紹介されなかったこと。
2つめは「help your cough」という言い方だ。これは「避ける」という意味ではないのかと直感的に感じた。すなわち「help+物事」の場合に使用制限があると感じたのだ。

 辞書で見ると、実際はbe helpful のように使われてはいるのだが、私が思うに、
 It helps my concentration if I listen to music while Iユm working. (Longman 4)
(仕事しているあいだ音楽を聴くのは私が集中するのに役立つ)のように
 「助ける」の場合には
 help my concentration=help me concentrate「私を助ける」のように
 「help +人」が隠れているような場合がふさわしい。
 無闇に「help +物事」はできないと感じた。

●結論:学習者に対してはhelp+人で「(人を)助ける」をまず徹底し、
次にhelp+物事で「(物事を)避ける」を伝えるのがいいと思うのだ。
 「宿題を手伝う」と言う場合、help me with my homeworkのように、
  「help+人」が基本だと伝えるのがいいと思う。
●補足:
 help me
 help me do my homework
 help me with my homework
 この3つを声に出すのがお薦めです。

August 23, 2005
●ルターの夏休み(その5):新聞切り抜きの整理
 今日はこれから自由が丘でお食事だ~、その前にちゃんと仕事するぞ~、と思っていたのだが、なぜか新聞切り抜きの整理を始めてしまった。う~ん。夏休みだからいいか!

 朝日新聞の付録Beにはフロントランナーというコーナーがあり、充実したインタビュー記事が載っている。こういう記事こそ、高3の進学相談室においたらいいのに、と思った。むかしテレビ番組「ウゴウゴルーガ」にあった「お仕事いっぱい」コーナーと同じように、仕事に対するイメージが湧くのではないかと思った。
 戦争をしない世界にするにはどうしたらよいか。私の答えは戦争は「ビッグビジネス」であるから、戦争に替わる「仕事」をつくること。これこそが平和貢献だと私は思っている。

August 29, 2005
●ルターの夏休み(その6):英語短編小説の読書会に参加して
 埼玉の所沢英語サークル「たいまつ」(入曽の公民館10:00~5:00)では毎年2回(春と夏)短編小説の読書会をしている。毎回25~30名の参加者があり、ルターは参加して4回目。
 1日で1作品を読み切るので、合宿に参加している気分になる。毎回、発見がある、すばらしい会だ。今日は過去の物語についてもまとめて書いてみたい。

■ 第1回(2003.7.23)はCarol Shieldsの「Mirrors」(1997)。仕事をリタイヤした60歳の夫と58歳の妻の話。夫は40歳代後半に浮気をし、その代償のつもりでコテージにある杉のデッキを作ったことなどを回想し、成人した子どもたちが見ているものは親のすべてではないし、落ち着いているように見えてもそうではない、と言ってやりたいと感じている。そして年老いた妻に照らし出された自分の老いを見出している[ここがMirror「鏡」という題名に重なる]。真夜中のこと、35年連れ添っている妻を「この人は誰だ?」と他人のように思い、その直後、ふり向いた妻と目が合い、その瞬間「2人がお互い同士になった」ところで終わる。

●ルターの感想:印象深かったのが、最後のシーンの読みとりで参加者の意見が分かれたことだ。男性参加者は「夫婦は分かり合えて、ホッとしている」と判断したのに対して、60歳以上の女性参加者のみなさん数名が「いえ、分かり合えていません」とキッパリ言い放った。
 そこで私が感じたのは男性はロマンチスト、女性はリアリストということであり、その瞬間、まさに小説に描かれた人生の断片を垣間見たのだった。

■ 第2回(2004.2.7)はAdam Haslettの「Devotion」。この話は印象深い内容だった。主人公のオーウェンと妹のヒラリー(50歳代の上品なやせた未婚の教員)は2人暮らし。その「1日」の出来事を描く。(当日は、この物語構成がヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』に似ているという解説があった。)
 かつてはロンドンで華やかなゲイライフ(!)を楽しんでいたオーウェンだったが、エイズの蔓延で足を洗い、未婚の妹のことも気がかりだったので都会暮らしは諦めて、兄妹でひっそり暮らしている。そんな2人の平穏な暮らしを破ったのは、かつてのヒラリーの恋人で、オーウェンも思慕していた男性「ベン」が家に遊びに来るという電話だった。浮き足立つヒラリー。オーウェンは妹宛の手紙を隠してしまった過去があり、そのせいで妹とベンが結ばれなかったと思っている。すでに結婚し2人の子どもがいるというベン。彼は何をしに来るのか? オーウェンの心は揺れ動く。そしてヒラリーに謝罪し、家を出ていこうとまで考える。(結末は読んでのお楽しみに…)
 タイトルのDevotionは「献身」。2人が幼少の頃、母親が森で自殺し、その現場を目撃して以来、身を寄せ合うようにして暮らしてきた。そして妹も兄もお互いを置き去りに出来ずに婚期を逸してしまっている。ゆえにお互いのDevotion「献身」とも受け取れる。しかし、ヒラリーは雑誌に出てくるような新しい家具に囲まれるような新生活をしたとしたら自分が浮いてしまうだろうと感じる(She knew she'd be a foreigner in such a room. p. 154)ようなところがあると描かれており、単純に「兄に尽くしたがために結婚しないでいる」と鵜呑みに出来ない描写があるのがよかった。

●ルターの感想:家族がお互いをなんとなく必要としていて居心地がいいまま知らぬ間に年齢がどんどん上がってきて、もう子どもが40歳過ぎ、「おいおい、とても『子ども』とは呼べないぞ」という、まさに日本の多くの家族に見られる、「出口なし!」状況が読みとれて、70代の親と同居中のルターは身につまされました。

■ 第3回(2004.7.21)は、Sherwood Andersonの「Death in the Woods」。
 森の中で犬たちに看取られて死んだ孤独な老女のことを少年時代の作家の目を通して描いた話。

●ルターの感想:「子どもの頃に見た光景(scene)を大人になって『あっ、これは!』と、何かのきっかけでやっと言葉にできるのではないか」「愛されることなく不幸な老女、のように言葉では決めつけない作者」「老女の死には不思議な透明感がある」というSさんのコメントが輝いていた。

■ 第4回(2005.8.28)は、D.H.ローレンスと交友のあったイギリス女性作家のViola Meynell (1885-1956)の「The Pain in the Neck(首の痛み=やっかいなヤツ)」。
 イギリス郊外のアパートに仲の良い2人の女性(30代ぐらい?)、MillとJaneが同居している。互いに補い合いながら楽しく暮らしていたある日、隣人が男友達のアーサーを連れてきて、2人の3年間の暮らしの均衡が破られる。長居をしてなかなか帰らなかったアーサーが帰ったあと、ミルはアーサーを評して「The Pain in the Neck(首の痛み=やっかいなヤツ)」と言い放つ。一方のジェインは、ミルの知らないうちにアーサーにスケートに誘われてひょこひょこ出かけていく。「彼、あなたのことを若いスポーツウーマンだと思いちがいしているんじゃないんでしょうね」とミルが言うと、「あら、私スポーツできるのよ! 楽しかったわ」と答え、ミルが考えていた枠からどんどんはずれていくジェインにミルは戸惑う。
 今回のレポーターのKさんは以下のSection 4でアーサーとジェインがスケートするシーンを読んで、このレポーターを引き受けようと思ったという。
As for when they had their hands crossed in front, her right hand in his right and left in his left, they could have skated like that across whole continents.
(2人は両手を前方で交差させ、彼女の右手は彼の右手に、左手は左手にすると、全大陸でもそうやってスケートできたかのように感じた。)
 そしてその後に彼と駅や家の前でわかれたあとに、彼女は普段の日常生活の中で、不安で心許なく感じ始め、まるで一人でスケートしているときのような感じ(as if she were skating alone)がするまでになる。
 ミルはジェインの変化に気づき、アーサーのことを「The Pain in the Neck(首の痛み=やっかいなヤツ)」と言ったことを悔やみ、話題に出して取り消そうと思うのだが、2つの理由でジェインに言うのを思いとどまる。1つは「あとから言い換えても元々の意見は変えられない」(覆水盆に返らず)、2つめは「そんなことを言ったらジェインの世界にやぼったく踏み込むことになる」(土足でズカズカはいけません…)。
 ジェインとアーサーが婚約したと聞いて、ミルはアーサーと2人でいたときに「あなたのこと、フツーの若い人だと思って初めてあった日にそう言ったのだけど、それを思いだすと落ち込むの」と伝えると「僕だったらそんなことで寝るときに思い悩まないよ」と一笑に付される。
 ところが、、、記者をしていたアーサーは取材で乗っていた飛行船が墜落、アーサーは帰らぬ人になる。
 アーサー亡き今、表面上は元に戻ったかのように思えた2人の生活。しかし、コーヒーに砂糖を入れるようになったり、本や雑誌に手を延ばすようになったジェインに「今までとは違う感覚」(strange)を覚えるミル。そしてミルの元からジェイン旅立っていくことが暗示されて話が終わる。
(『コーヒーに砂糖を入れる』の箇所はT教授が指摘してくださるまで、ルターは気づきもしませんでした! 読み込み浅いな~、ルター。そして、最後の感想を述べる時間で、Sさんのコメント、「女同士の関係では相手に合わせて変わろうとはしないけれど、男女の関係では女は男に合わせてコーヒーに砂糖を入れるようになったりして変わっていくんですよね」にも感心しました。)
 
●ルターの感想:参加者のSさん(70代前半ぐらいの既婚女性)が「ジェーンとミルの女性同士の関係は補い合う関係だったが、男女の関係はそうではない。男女は…、補い合う関係ではないですよ」というコメントが心に残りました。未婚で30代のルターには思いも寄らないことばでした。男女の関係は補い合う関係ではない…、う~ん、では、どのようなものでしょう? 大きな宿題をもらったような気がしました。


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